物事を習う段階において、『守・破・離』という言葉があります。
聞いたことがある方もいらっしゃるのではないかと思います。
私は昔、ある習い事をしていた際に習っていた先生から教えて頂いたのですが、
とても好きな言葉になりました。
守・・・先生から教えたもらった通りに真似てみる時期で、理屈や道理はとりあえず置いといて、
ひたすら同じことが出来るように繰り返し繰り返し練習を重ねる段階を指します。
師匠の型を崩さずに守るという意味から『守』となります。
破・・・ある程度、先生から教えてもらったのと同じようにできるようになった後、少し自分の
考えや工夫を取り入れていく時期で、少しずつ自己流を作り始める段階を指します。
師匠の型を少しずつ変えていく、破っていくという意味から『破』となります。
離・・・ここからは更に自分なりの工夫を加え、自己流を確立していく時期で、師匠の型から
完全に離れるという意味から『離』となります。
私は勉強をはじめ、スポーツや芸事、習い事の一切はこれに当てはまるのではないかと
思っています。
人間の成長から見ても、一部の天才と呼ばれる人達を除けば、全ての人は生まれた時から
この段階を踏んで赤ちゃんから大人になっていくのだと思います。
鍼灸も一つの技術であるならば、学び方は同じであると思います。
まずは先生方が示される、鍼・灸の技術をそっくりそのまま真似るところから始まるのでしょう。
その練習の繰り返しの中で、微妙で精微な感覚が養われ、人の体の反応を理解することが
できるようになるのだと思います。
鍼灸という技術にとって、この感覚を養うというトレーニングはとても大切で、東洋医学自体が
経験医学の集大成であり、四診といって望診(視覚)、聞診(聴・嗅覚)、問診(問診)、切診
(脈、腹、擦)など感覚による診察を重要視することからも、感覚を磨くことが重要であることは
御理解頂けると思います。
また、鍼灸の技術自体が感覚を必要とします。患者さんの体の状態を体表から読み取ろうとする
『治療家の手』を作ることが鍼灸専門学校で学ぶ学生にまず初めに求められる大きな課題です。
次に鍼を体に打ってからの鍼尖の感覚を磨いていきます。体の内部は体表からは見ることは
できません。ですから、鍼尖を感じることがとても大事なのです。鍼尖が自分が狙った反応の深さ
まで達しているか?またその反応に当たっているか?そして、その反応が手技によってどう変化
したか?など・・・
鍼尖で感じることは山ほどあります。初めは誰も分かりません。トレーニングによって少しずつ
自分の体で感覚として身に付けていきます。
兵庫鍼灸専門学校では、この『治療家の手』を作るということを非常に重要視しています。
学生にも3年間かけて『治療家の手』を作るんだ!ということを常日頃からに指導しています。
この精妙な技術を一人でも多くの学生に修得してもらい、鍼灸治療の発展に貢献できる鍼灸師を
育てることに、これからも一生懸命取り組んでいきたいと思います。
長文になってしまいました。失礼しました。